読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

鎌倉時代の京都


今回は鎌倉時代から室町時代を歩く!

私自身の黒歴史にはとても目が当てられないので、500年くらい遡って振り返ってみようと現実逃避した次第です👸✨



手始めに建仁寺

平安時代くらいに、源頼朝(源氏)と平清盛平氏)との間に一悶着ありまして、鎌倉時代は武士たちがブイブイいわすようになりました😎🎶

天皇?公家?たちによる落ちぶれた仏教に対抗して武士や庶民のための仏教が始まります。
(浄土宗とか日蓮宗とか)



そのうちのひとつ禅宗というのを栄西禅師さんがクリエイトしました。
禅宗臨済宗曹洞宗黄檗宗があるよ)
建仁寺臨済宗専門なりました)
(注釈が入りすぎだよね)


建仁寺が建てられたのは、たぶん鎌倉幕府第2代将軍源頼家パトロンになってくれて荘園を譲ってくれたみたいないきさつかな❓🤔


よくわかりません


建仁寺は芸術も建築も素敵なので、
またきちんと調べて書きたいと思います❣️






そして鎌倉幕府は、京都の天皇?公家?たちが余計なことをしないようにと、六波羅探題という、やりたい放題できる警察とか裁判所的なノリのアレを京都に置きました❗️👮🗯

それをぶっ潰したのが、室町幕府を作った足利尊氏後醍醐天皇です。



六波羅探題
六波羅蜜寺内にあるよ)


もともとは馬鹿でかい広大な土地でしたが今は跡形もありません。ノースゾーンとサウスゾーンで別れていました。




地獄への入り口六道珍皇寺のご近所です👻👻🎶



この辺りは庶民の葬場とされ疫病が流行ると野晒しの死体や人骨がごろごろとあり、そのことから六道の辻(あの世との境目)といわれているらしいです。




こういう曰く付きの場所、奇妙なほど真新しく明るいところが多くないですか❓

不自然な雰囲気が堪りません・・・



ハッピー六原笑い路地なんてネーミングで、どうにかこうにか負のイメージを打ち消そうとしている町の姿がなんとも不自然さを助長させます・・・



そんな六波羅の民を全力で助けようとしたのが空也上人さんです👏😌✨


六波羅蜜寺の宝物コーナーに、そこそこ有名な空也上人立像があります❣️

激カワなのでぜひご覧ください❣️



足利尊氏後醍醐天皇は「敵の敵は味方」ばりに協力して六波羅探題を潰しましたが、そのあと足利尊氏後醍醐天皇の政治が気に入らずケンカしてしまいます。

それがたぶん南北朝のアレですね🙋💨


南北朝のアレの舞台は嵯峨や嵐山のあたりに移ります。

次回はその辺りを攻めましょう❗️👮🗯



帰りに烏丸三条あたりにある伊右衛門サロン京都で腹ごしらえしました🤤🤤💦

京都にしては美味しい


烏丸通りのひとつ西側が室町通です。

足利尊氏のお家花の御所があった通りで、かつてはメインストリートでしたが今は跡形もありません。



私もゆくゆくはお金持ちになって大きな家に住みたいなと思っていましたが、やっぱり賃貸でいいです・・・

けど、別荘はいくつか欲しいです・・・